もちろん、物語の最後になっても、どの問題も解決されておらず、物語自体は全く同じなのかもしれません。結局のところ、研究というのは自己治療の手段ではなく、地味で不確実な自己治療の試みに過ぎないのですから。

 

しかし、正直に語る、ということは恐ろしく難しい。素直になろうとすればするほど、私の言葉は深く沈んでいく。「私たちの思考は言葉になるのではなく、言葉の連続が思考になる」という脳科学的に正しいと思われる事実を述べることはしません。生成過程がどうであれ、ここで語られることは、今の時点で私ができることの中では最高のものだと思います。

 

とはいえ、全てがうまくいけば、数年後、数十年後、あるいは人類が滅んだ後、自分が贖罪されていることに、私は気づくかもしれません。その未来の言葉は、時間を遡り全てのものを贖うことができるでしょう。それが言葉の魔力なのです。