自由律俳句::模写

「完璧な仕事なんてものは存在しない。完璧な絶望がないのと同じように」

 

大学生の頃、偶然出会った研究者は私を見てそういった。「だから、どうしたらいいかわからない」

 

その真意を理解したのはずっと後になってからだったが、しばらくの間、これを少なくともある種の慰めとして受け取ることはできた。完璧な仕事など存在しない。

 

それでも、何かを仕事としてこなし、生計を立てるということになると、いつも絶望的な気持ちになる。それは、自分に想像できる仕事の領域が非常に限られていたからだ。例えば、像の素材をどうにかすることができても、仏像をどうにかすることはできない。


そんな不安を抱えて14年を過ごした。14年、長い時間だ。

 

もちろん、すべての経験から何かを学ぼうとし続けていれば、生きることは苦痛ばかりではない。これは単なる総評として。

 

私は23歳ちょっとの頃から、そのように生きようとしてきた。そして、そのような生き方をするには、それなりの技術が必要である。おかげで、何度も何度も人に怒鳴られ、利用され、誤解されたりした。同時に不思議な体験もたくさんしてきました。様々な出来事が私の上を通り過ぎ、リアルト橋の石畳のように、多くの人の足が私を踏みつけ、磨いてきた。