理系サラリーマンライフ04: 夏と影と家族

今は夏。だから彼女は思い出す。

草の匂い。空と飛行機雲。微かな排気ガスの匂い。
遥かな夏の流れ。


ふたり分の青空。


毎年、九月四日に強制的に失われる記憶。



「あ。いま、夏か」
理由はないがなぜかノルマになっている特許をひねり出すための、益体のない打ち合わせの途中でモモ課長はそうつぶやいた。僕の上司である彼女の恰好といえば、膝丈のサファリにキャミソールをあわせ、行儀悪くデスクの上に投げ出された足には、miumiuのミュール。明らかに会社にくる格好ではない。加えて髪は、名前の通り桃色に染めたショートカット。
「ええ。お盆です」僕はなるべく不満が口調に出ないよう、注意して答えた。「帰省するのでも忘れてましたか」
「うん」
そんな正直な答えは期待していなかったので、僕はちょっとびっくりした。「今からだとチケット取るの辛そうですね……。ご実家、北海道でしたっけ?」
「そう。まずったな。婚姻届について話さなきゃいけなかったのに」
あまりにもさらりと言われたので流しそうになったが、なかなか意味深である。これは聞くべきだろうか。それともそれはセクハラか。いや彼女は上司なわけだし、どちらかと言えば僕がセクハラを受けているのか? などとは特に考えず、僕は条件反射で聞いていた。
「婚姻届?」
「そう。実はこないだ、郵便受けに入っていてな。なんか知らんが私の印鑑も押してあって、正式に結婚したことになってた」
「それはそれは。おめでとうございます」
「めでたいか? 相手が誰だかわからんことを除けば、そんなに問題もない、ぐらいなものだ」
「しらないんですか?」
「知らない。いきなり郵便受けに入ってただけだしな。ダイレクトメールと間違えて捨てるところだった」
「それってあれ」
「ストーカー?」
「ですか?」
「かもな。で、なぜか知らんがそのストーカー、いま、私の実家にいるらしい。会ったことはないが」