涼宮ハルヒとガンダム(車、携帯、セカイ系、宇宙の距離感)

(たとえそれが自覚的に書かれているとしても)
涼宮ハルヒとかで、学校のクラスにいきなり情報統合思念体とかいう、
深宇宙的存在が唐突に現れるのは、
我々のネットワーキングされた社会状況と無縁ではないだろう。



これが一昔前の作品だったら、(科学的には明らかに過小評価とはいえ)
宇宙の「距離感」を書こうとしただろう。



人間が地球のまわりのごくごく限られた宇宙空間にでるだけでも、
莫大なエネルギーが必要になるし、月にいくのはほとんど国家的事業だし、
火星になんて行こうとしたら、すでに予算の問題でもなく、
行って帰ってくるだけで人生の主要な時間の大半を使ってしまう。
木星? 人間が行けると考えるのも難しい。

太陽系外? ほんとうに、そこには、何もない。
銀河? 銀河腕? 事象平面?




だからガンダムは地球と月の間だけが人間のささやかな活動領域だし、
木星なんか行っちゃったら、ほとんど人外扱いである。

銀河系を超えた深宇宙は、もう、クトゥルフである。


これは、80年代の、「車で移動する」距離感覚の敷衍とも言える。







しかし、ネットワークの拡大は距離を無効化し、
我々に、人外の存在には、こちらから何年もかけて、
「誰も言ったことのない場所」に行かなくとも、
インターネットで/携帯で、アクセスできるのではないか、という幻想を与えた。











でもまあ、電話は電話線がないところにはかけられないのだけれど。