習慣と無選択性


新聞やテレビやネットサーフィンが、
ある種の悪徳を備えているというとき、

それは彼らが提供する情報の大半が低俗で無意味ということではなくて、
それがある種の習慣化を強制するからだと思う。



何気なく、毎日届く新聞を読む一時間で、
あなたはゲーテを読むことだってできる。



ただ、それが毎日配達されてくるという理由だけで、
自分の人生を他人が決めたルーティンワークに費やしてしまう。
(別に新聞を読むのが無意味と言っている訳ではない。
本当に毎日読む必要があるのか、という疑問を持つことが重要という意味)



疑問を抱かず、
朝の一時間を、ただ、なんとなく、
新聞を読むことに費やす危険性について、僕は警告しておきたい。




僕らの人生はあまりに短く、
すぐにルーティンワークで一生が埋まってしまう。