実験の証明とは?――特にライフサイエンス分野で

最近不祥事が続くライフサイエンス分野のかたからの一言。

物理や化学・工学に比べて、「○○さんしかできない」職人技的な要素が強い実験科学であるからだろうか。論文に記載されている「材料と方法」をそのまま真似しても、まずうまくいかないことは、生物学者ならたいてい経験済みのはず。だから、論文に「できた」と書かれていればそれを信じるしかないし、再現性が確かめられて真偽が明らかになるには時間がかかることが多い。

他の分野はよくわかりませんが、物理分野でも「論文に記載されている「材料と方法」をそのまま真似しても、まずうまくいかない」ことはよくあります。PRLやサイエンスに載った実験を再現するのは、かなり困難です(それができるのは、その分野でトップクラスの2−3の研究室だけでしょう)

アカデミアで生命科学に携わる第一線の研究者のほとんどは、ポスドクと呼ばれる任期つき研究者である。ポスドクの任期は、ほとんどが今述べた短期プロジェクトと連動している。研究室を経営するボスが予算の獲得に血眼になるのと同様、現場の研究者は職(ポスト)の獲得に必死だ。心ならずも、論文にはなるがおもしろくもない仕事を乱発してしまう人は多いと思う。そして、不幸にもでっちあげの誘惑に負けてしまう研究者が出てきてしまうのかもしれない。

ポスドク問題は他分野でも顕著かと。「Publish or Punish」(論文出版か、それとも死か)という言葉は古くから言われていることです。


つまり、これらの問題は生命分野に特有のもではなく、サイエンス業界全体にあるもので……、ではなぜライフサイエンス分野で不祥事が表面化するのかというと、それはこの分野が急激な拡大しすぎたことにあるのではないでしょうか? 金銭と人員の量的拡大に、評価機構とチェック機構がついていっていないのです。


特に日本ではこの10年でライフサイエンスが政策的重点分野としてセレクトされ、文部科学省から莫大な研究費が支出されました。またそれにあわせてライフサイエンス分野のポスドクも大量生産されたのです(特にゲノム解析に当てる人員として)。


しかし、研究成果のチェック機構もそれにあわせて整備されたのでしょうか? 大きくなった組織や予算を運営するのに必須な、明文化されたルール・公正な判定システム・権威主義の排除・自由に議論できる環境の整備……。ライフサイエンス分野全体で、そういった環境や人員の裾野(セルフチェックが有効になるような、研究者同士の横のつながり)が、扱う予算や人員にふさわしいレベルまで上昇していたのか? この点は、はなはだ疑問です。