未来と過去の本質的な違いは何だろう?

運動方程式は時間に対して対称である。
すなわち現在の物理量から未来の状態を算出するのと同じ要領で、過去の状態も算出できる。


先日の海外出張と同じくらいのお金をかけて、新居の契約を行った。


クレジットカードで払った特はたいした感慨もなかったが、
実際に一万円札を前に並べると、ちょっとした大金である。
(財布に入れたら、財布が曲がらなかった・・・)







ところで、こういうちょっとした額を扱うとき、僕はいつも20万円を思い出す。



大学一年生のときのとき、僕はイギリスに行ってみたかった。



これは今でもその気があるが、そのころの僕は特に日本に飽き飽きしていたのだ。
中二病が完治していなかったと言っても良い。




池袋のジュンク堂地球の歩き方を買い(ここは高校生の頃からのなじみの店だった)、
近畿日本ツーリストかなにかで、値段を調べた。



たしかモスクワ経由の安いツアー旅行だったかと思うが、その代金が20万円だった。




中学生の頃からのお年玉の残りと
(性懲りもなく、僕は高二か高三までお年玉をもらっていた)
大学生になってから始めた、ささやかな家庭教師のアルバイトの給金を足すと、
ちょうどそのくらいのお金になった。







結論から言うと、僕はけっきょくイギリスには行かずに、
代わりに自動車学校に通い、運転免許証をとった。




なおその免許証はほとんど使われる事はなく、
いまでは車の運転ができるか怪しいものだ。







つまりはそれだけのお話。
別にその20万円で難病の女の子を救ったとか、そういう劇的な話では全然ない。






でも、ちょっとしたときに――例えば賃貸契約をしたり、海外出張の清算をしたり、クレジットカードの与信枠を見たりするときー―、
僕は19歳の僕にとっての20万円と、今の僕にとっての20万円について考える。




あるいはその頃の無力さと、いまの力を比べてみる。
あるいはその頃の頭の切れと、いまの頭脳の動きを比べてみる。
過去の自分と、未来の自分は、今の自分と本当につながっているのかを考える。





そういう事をすると、いろいろな事がわかったり、逆にわからなくなったりする。
そして最終的には、僕の目の前に置いてあるコーヒーが、ほとんど消費されないまま、熱を失い、エントロピー的に平衡な状態になっている事に気づく。





それでどうするかって?
まあ、たいていの場合、コーヒーを入れ直して、飲み直す。