メタ視点とリアルフィクション――プレイヤーは英雄ではない

最近、TRPGのセッション進行にメタ視点を大胆に(というか、もういっそ破れかぶれなくらい身もふたも無く)取り入れることが重要(必須でないにしても)なんじゃないかと思っていたり。

結局のところ、プレイヤーは英雄でもなんでもない。凡人である。そのプレイヤーがメタ視点(こういった行動をとれば、物語の展開がドラマティックになる・面白くなる、という視点)を持たずにキャラクターとして「自然な」行動だけをとっていると、どうしてもヒロイックな物語が展開しない。(別に英雄譚だけがTRPGのシナリオだといっているわけではないが、しかし、それが王道であることは否定できないであろう)


極端な話、シナリオのプロットを最初から最後まですべてプレイヤーに(キャラクターに、ではない)明示してからセッションを始めても良いんじゃないかとすら思える(言いすぎか?)GMはシーンの最初に、そのシーンの目的(城に忍び込んだダークエルフにお姫様がさらわれ、君たちがそれを助けに行くためのモチベーションを得るシーンです)をプレイヤーに話し、細かいところ(舞踏会の最中にさらいに来てもいいし、夜の寝室でも、散歩の途中でも、なんでも)はプレイヤーに委任してしまう。いうなればGMカーネルだけを提示して、艤装はプレイヤーに考えてもらう。これによってGMのみに偏重していたシナリオ構築の負担を分散できる。そして演出や舞台といった枝葉を取り除いたシナリオのカーネルだけならば(ロラン・バルトが明らかにしたように)、物語構造の種類というのは非常に少ない。よっていっそのことシナリオのカーネルもカタログ化し、「今日のセッションは〜番カーネルを使ったシナリオです」と最初から明示しても良い。


実際、今のTRPG(というより、サブカルチャー的な創作物のほとんどすべて)はこういったメタ的な(あるいは多層的意味を付与された)方向に進化している。ぶっちゃけFEAR系のシステムはほとんどこのメタ視点での展開を実装しているのだ。こういった構造主義的な視点をもっともっと大胆に取り入れることで、TRPGは新たな面白さを獲得するのではないだろうか、と思う今日この頃である。

参考:
【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト
ハンドアウトは自由を奪うか? - 流星亭日誌@はてな(アリアンロッド&TRPGオンリー)