貴方の恐怖はどっからきた? あるいはパノプティコン・コンプレックス

恐怖。


恐怖と対立する感情は、全能感だろう。
全能者に恐怖はない。
すごいね。しんじゃえ。



私がもっとも単純に恐怖を感じるのは、精神病院のようなところだ。
あるいは、言葉も風俗もまったく違う、異国の牢獄。




こちらがどんなに努力しても、分厚い扉と壁を破る事はできない。
厚さ15センチのコンクリート壁の前に、少々の力自慢が何の役に立とう?
さりとて言葉で看守と交渉しようにも、相手にはこちらの言葉は通じない。
たとえ言葉が通じても、こんどは話が通じない。
単語は通じても、概念が違いすぎて意味が通じない。




そういった環境を想像するだけで身震いがする。
(具体的には、上に挙げたようなのとか、
あるいは軽めなので言えば、不当逮捕された後の警察の取調室とか、そういうの)





それは自分の力が全く通じない、無能力感によるものであろう。
自分の意志が押し通せない事、物理的に個人が社会(世界)に押しつぶされる事が、
過酷なストレスになる。




こういった恐怖は薄く、けれどもいたるところに偏在している。




学校の中で、いじめから抜け出せない恐怖も。
失われた十年から、フリーターから一生抜け出せない恐怖も。
人類の行けるところに、宇宙人なんていないんだという恐怖も。
あなたが大好きな二次元には、決して行けないんだという恐怖も。




まあ、単純化してしまえばそういう事だ。




多くの人にとって、それは当たり前のことなのかもしれない。
どちらかと言えば、この欲求は、小児性のものだろう。


けれども、世の中にはそれが許せない、そんな人種も幾らかいるのだ。




その幾らかのひとも、
自分の周りの小さな、例えば自分の部屋とか、学校のクラブとか、職場とか、自分の専門とか。
そういった領域で力を発揮する事で、かりそめの全能感を得て自分を慰め、まあなんとかやっていく。
ちょっとした憂鬱を抱えながら。










うーんと。なんと言うのかなあ。
まあ2000年代の気分って、こんな感じじゃねーの?


とか思っただけです。ハイ。




追記:

もっとシンプルに言えば、
パノプティコン・システムが壊せないことの絶望感、ですか。

RPGのキャラクタに、背景として書かれた建物が破壊できないように、
監視塔が自分には破壊不能であることがわかってしまった恐怖。


ということかな。
還元すると、かなり馬鹿っぽいですね。




追記の追記:

前期資本主義の労働者階級も、同じような気分だったろう。
また現代日本の日雇い派遣ネットカフェ難民(実態はともかくとして)にも共通するのではないだろうか。


宿と食費で労働対価が消えて、資本蓄積ができない状態。
つまり、資本蓄積をもとにした状況打開行動が封じ込められている状態ですな。


前期資本主義の労働者(の一部)は、資本蓄積でなく暴力革命で状況を打開ししようとした訳だけれども、
その結果が、より監視社会的な強力なシステム統制を招き寄せたというのも皮肉なところだ。