カントリーライフと田舎の違いか、あるいはiPod nano(関係なし)

イナカの定義とは、「選べない」ことではないだろうか。
などと、選挙速報を流すテレビを深夜まで眺めながら、そんなことを考えた。


私自身がイナカに居を構えているので、イナカについては機会あるごとについ考えてしまうのだ。


イナカは、選べない。*1


たとえば、選挙の候補者は自民党共産党しかいない。
たとえば、電車は一路線しかない。
たとえば、本屋にはジャンプコミックスしかおいていない。
たとえば、牛丼を喰うには吉野屋しかない。
たとえば、学校は公立しかない。
たとえば、就職先はJAしかない。
たとえば、娯楽はパチンコしかない。
たとえば、金を預けるのは郵便局しかない。
たとえば、ツタヤにはスターウォーズしかおいてない。
たとえば、たとえば、たとえば……。


そんな感じの、選べないのがイナカなのだ。


これはおそらく日本でも、アメリカでも、たぶんどこでも、おなじだろう。
元チアリーダと元アメフト選手(ハイスクール時代の)が幅を効かせる、
テキサスか、ノースカラロイナか、そのあたりの片田舎。


選べないことは、ある意味安心でもある。
そもそも、ほかの選択肢に気づかなければ、
そんなものだと思って、取り立てて不満にも思わないだろう。


でも、どこにでも、現状に不満を覚えるものはいるものだ。


結局のところ、性根というか、気質というか、
そういうものなのかもしれない。


それは浮ついていて、実のところ地に足が着いていない。
単に、人と同じモノを選ぶのがいやだという、子供じみた反感から来ていることも多いのだ。


でも、それでいいのだろう。
自覚しても嫌なモノは嫌なのだから。


結局、そういったものを、
誇りとか、信念とか、そういう風に形容するのだろう。
あるいは魂とか。


そんなのは条件反射にすぎない?
限定条件なく、条件反射で護ってしまう命題を、信念と呼ぶのではないのだろうか。


まあ、少々感傷的すぎたか。詩的ポエム。


思いついたが、イナカモノでイナカが嫌いな連中は、
成長したら、すぐにそこではないどこかへ出ていってしまうのだろう。


すると畢竟、純度は高まり、より安定な基底状態へと落ちる。


うん。まるで調和振動子。結論はそんなところで。

*1:改革を、あきらめない。見たいな語呂で読んでくれ