続・高校生の見学。気分はもうニート

少年少女時代が「もう」終わってしまった。

この感傷には、少年少女時代のほうが今より良かった、という概念が含まれている。
少年少女時代の未決定性。つまり、何者でもなく、具体的な達成物を持たず、そのかわりに、何者にもなれるし、どんなことでも達成できる、その可能性だけを所持している、留保されている、モラトリアムされているという状態。
現代の日本では、とりわけこの状態の価値が高いように観測される。
フリーターやニートを、積極的に選びはしないながらも、心の奥底で容認する気分は、ここから醸成される。「働いたら負けかなと思っている」というときの「働く」とは、労働とその対価としての金銭の取得ではなく、この「可能性の減少」と見るべきだろう。
ここで我々は、このような気分の善悪を判ずるのではなく、なぜこのような気分が拡大したのかを考えてみるべきである。
(この項続く)