圧倒的に生産性の高い人の研究スタイルは銀の弾丸になるか?

圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル
http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20081018/1224287687


hatena bookmark で一位になっていた記事です。
コメント欄とかを見ていると賞賛の嵐。
えーと。本当にそんなんで良いのかなあ。記事の叙述トリックに引っかかってないか?


面白い記事ですけど、ちょっと反論(というか追加したいこと)があるので、書き留めておきます。*1


まず、元記事の内容を簡単にまとめると、
研究のやり方として

1. まずイシューありき

2. 仮説ドリブン

3. アウトプットドリブン

4. メッセージドリブン

という方法ですすめると、とても効率的に論文が生産できます。
というもの。



うーん。まあそうですよね。
というか、これ以外のやり方で科学研究をやっている人なんていないのでは?
(個人的には「砲丸投げで砲丸が一番良くとぶのは、科学的に行って45°に射出したときです」くらいの役立ち度)



わかっちゃいるけどできねんだよなあ(泣)。というのが実際のところでは?



で、この方式の問題点は、初期値不定なこと。
つまり、初期条件が「イシューを設定する」になっていること。


よく「問題を解くより、問題を創れるかがその人の能力」と言われるように、
実のところ良いイシューを設定できれば、研究は半ば以上終わったも同然。


あとはそれが本当であるという証拠を集めれば良い(実験しやすくて、そのイシューを効果的に補強する実験条件を考えて実験する)だけなのですから。(元記事はこのソルバーとしての有能性を高める方法について述べている)





論文の面白さ(殺伐とした言い方で言えばIFの大きさ)というのは、この最初のイシューの設定の面白さでほとんど決まる。
小規模なラボで結果を残そうと思ったら、なるべく低予算で実行できる面白いイシューを探し出す嗅覚が重要という事。


(面白さと予算は独立です。いま欧州でやっているLHCとかは、イシューは面白いんだけど、予算がかかりすぎてスタートアップの(大御所でない、ERATOとかCRESTの幹事には間違ってもなれないような)ラボでは手が出せない例の典型。大企業とベンチャーみたいなものでしょうか。たぶん。)




つまりまとめると、

1. 元記事の方法でたしかに問題解決の生産性は上がる
2. けれど、生産性が上がるのと面白いイシューを探し出せる事の間に直接の因果関係はない

ということを僕は言いたい。
つまり生産性を上げたから、面白い論文が書ける訳ではない。


もちろん。
生産性が上がると、他の人が一回の試行をする間に二回の試行ができる訳だから、
因果関係はなくとも、相関がないとまでは言わない。


それは、「走れるサッカー選手」みたいなもので、
とても重要な能力で、備えている事が求められているけれど、でもそれがすべてではない。


試合の間中走り続けられる国見高校は確かに強いけれど、そこにファンタジーを感じる事は難しい。
下手をしたら「走ってるだけ」なんていう感情的なアンチを生み出しかねない。


(論文の査読をしていても、すごい論文に対して「確かにすごい論文だけど金があれば誰でもできるよね」なんていう感想を漏らす人は、必ずいる)




別な言い方をしてみれば、
トヨタ生産方式を極限まで押し進めて効率的なもの作りをするのと、
面白く美しい車を創りだす事は、理論的には独立ということ。


ただ、予算が有限であるという制約条件のもとでは、リソース配分比率の変化を通じて、
間接的に影響を与え合う。
それだけの事。





当たり前すぎてつまらない?
でも、世界の大半の問題に、銀の弾丸はないのです。

*1:ディスカッション用の素材提供、ともいう